初めの徴候
私は元々、うつになるような性格ではありませんでした。
むしろ死を選べるくらいなら、その気で何でもできるのでは?と思っていました。
大間違いでした。
うつは脳の機能障害と言われています。ストレスや過労などが引き金となって、神経伝達物質が減少し発症すると考えられています。
気の持ちようとよく言いますが、人間本当に全て捉え方や考え方で気分が変わります。うつを発症すると全ての思考が止まり体も動かなくなり何もできなくなりました。
私の場合一番重症の時は全く動けなかったのですが、少し落ち着いてきた頃から「死」が大きくなっていきました。
死にたいが支配する
普段なら考えないような事をうつ時には考えてしまします。
少し落ち込んだり不安になっても、普通の方は解決策を考えたり相談したり明るい未来をすぐに想像できますが、うつ時は全くそれができません。人にも会いたくなくなるので、自分の中で堂々巡りが始まります。
そのうち、全てが死につながっていってしまいます。本当にそれが一番楽になれるんじゃないかと結論づいてしまいます。
今考えるとどうしてそうなったんだろうと不思議に思うほどですが、当時の真っ只中ではもうそれ以外考えられなくなっていました。当時は頭の中に常に死がついて回ってるという感じで、何をしてるにも常に片隅にありました。
この時私は初めて、インターネットで「死にたい」と検索しました。
今までそんな事を検索したことがなかったので初めて知りましたが、「死にたい」と検索すると命の電話が一番上にどーんと表示されるのですね。その時私は、死にたい事を人にも言えなかったので初めて誰かに止められたような気がして泣いてしまいました。
普通に考えれば命の電話が表示されるのは当たり前ですし、普通の状態だったらなんとも思わないでしょう。
それ程思考が偏っていたんだなぁと思います。ただ、この事で私は本当は死にたくないんだなと初めてわかりました。
死ぬ以外もう選択がないと思い込んでしまっていたのです。
死にたいけど怖い
死にたくないんだなと分かっても、相変わらず「死」はずっと頭の片隅にあり、時々突発的に死のうとしてみたりもありました。
ですが、現実に死を肌で感じるとどうしても怖くて怖くて手が震えました。楽な死に方や怖くない死に方などを調べたりもしました。
でも結局楽で怖くない死に方なんてないんです。結局最後は「死」という究極の孤独と得体の知れない不安が待っています。最後死ぬ瞬間や死んだらどうなるんだろうなんかを考えるとやっぱり怖くて実践できませんでした。
そして私は死ぬのを諦めました。
それから
私は極力何も考えず何もせず毎日を過ごしました。
時々フラッシュバックが起こり、どうしても許せない事や忘れられない事に頭が支配されて死んでやりたいと思ったりもしましたが、無理だということを思い出しまた無気力になるを繰り返していました。
そうやって毎日をやり過ごすようにしているうち段々と波が少なくなってきて、徐々に徐々にですがどん底から浮上し出しました。
私がお世話になった心療内科の心理士さんに、今は全部病気のせいにしましょうと言われました。そう思うのも病気のせい、何もできないのも病気のせい。だからしょうがないと。私はそれで少し軽くなりました。
治ったら大丈夫。病気だから必ず治ります。という言葉に救われました。
現在
そうやって毎日をやり過ごし、とりあえず生きる事を目標に心療内科で少しのお薬と漢方を飲み、月1カウンセリングを続けてるうちに徐々に感情の波が少なくなってきて1年半ほどで薬を飲まなくなっても大丈夫になりました。そして1年ほどカウンセリングだけ通い程なくして通院が終わりました。
その後復職し、ご縁があり養育里親のお手伝いも開始しました。
養育里親と支援活動について←前回記事
ただ、完全にうつ発症前の自分に戻った訳ではなく、今後も完全に戻るには時間がかかるだろうなと感じます。
次回は私の感じるうつの後遺症(追記記事はこちら)について書きたいと思います。
私の体験が今辛い状況の中にいる方の少しでも参考になればと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
睦月