スピリチュアルとは
往年スピリチュアル思考が強くなってきていると私は感じています。
スピリチュアルってそもそもどこからきたのかなと思い少し調べてみると、アメリカのニューエイジ思想の影響が強いようです。ニューエイジ思想とは、20世期後半から発生した宇宙、自然、生命などとの大いなるものとつながり、人間の霊性、精神性の向上を目的とした思想です。そのニューエイジ思想から、心霊、オカルト、色々な宗教概念などを大きく巻き込み、2000年代よりブームになっています。
スピリチュアルの危険性
私の家は元々信心深い家で八百万の神様がいる、いつもお天道様が見ているなどの考え方の中で育ちました。ですので目に見えない世界については比較的抵抗なく、結構信じている部分がありました。
うつになりかけた一番踏ん張っていた時期に、私はスピリチュアルの中に意味を無理やり見出し、自分を誤魔化していました。そして私が思うスピリチュアルの危険性とは、そういう弱っている人につけいる輩も大勢いるということだと思います。
スピリチュアル自体は悪いことではないと思っています。それで救われたり、気付いたりする方も多いと思います。ですが本人が辛ければ辛いほど、何かこれには意味があるのではと考えがちで、そこで意味を見出してくれるスピリチュアルは格好の逃げ場になります。
スピリチュアルの怖いところは、何も確証がないところだと思っています。誰も神や天使の存在、死後や見えない世界は確証がありません。また霊能者と自称している方は星の数ほどいます。中には本物と呼ばれる方もいるでしょう。ですが、大半は弱った心に耳障りのいい事を言っているだけの方が多いんじゃないかと私は思っています。
そこであなたには気付いてないだけですごい力があるや、恋愛相談をした方に運命の人がわかるようになりますよなどと無責任な事を言って高いお金を払わせセッションやワークショップに誘います。
今報われなくて、どこかに拠り所を探している方はあたたは特別だと言われるとそれにすがってしまいがちです。そして、お金を失ったり、確証のない事を周りに言い出し信頼を失ったりしてしまいます。
スピリチュアル的教育とその危険性
また教育について少し難しいところだとは思いますが、私が思う危険性として思うことがあります。
日本の昔ながらの考えの全てのものに神様がいて、大事にしないといけないや、いつもお天道様が見てるから悪い事をしてもそれは自分に返ってくるなどの考え方は、里親支援で子供と接していても根本の教育として私はいい考え方だなと思っています。
今の子供達は、変に現実的で化学が発達した事により神様なんていないと思う子たちも多く、そういう子たちは誰も見ていないから何してもバレなければいいと思いがちだと感じています。幼少期に悪いことしたら自分に返ってくるんだよと言われ育つと、大人になっても人に言えない事をすると、人一倍罪悪感が出る気がします。
現に私はそうです。なのであまり悪い事もできませんし、人が見ていなくても良い事をするのはいい事だと思っている節があります。ですが、自罰的になりがちで自己肯定感が低いのはそのせいも少しあるのかなとは感じています。そうして自己肯定感が低いとまたスピリチュアル商法に引っかかりやすいと思います。教育に関しては難しいところかもしれないなぁとも感じます。
スピリチュアルには確証がない
見えないものや現代の科学で立証を得ていないものは全て確証がなく、全ての人がわかりやすく正解や不正解が判断できません。すると、これを信じる人、あっちを信じる人で小さなコミュニティの中でしか分かり合えなくなり、さらに認識が閉じがちです。
そしてまたこれはダメだったと悟ると、違う事を言ってる人が正解なんだとフラフラとしがちです。占いジプシーをする人もこういったループにハマってしまっています。
精神性も大事だと思いますが、一番大事なのは今確証ある目の前にある出来事や大事な人たちと向き合うことだと思っています。
一番大事なこと
悩みが大きい場合、スピリチュアルに逃げてしまう気持ちもわかります。ですが、解決できるのは自分しかいません。現実的に考えて、自分の考えをしっかり持ってブレないことが大事です。
でもそれはとても難しいことですね。私もそうでした。だから、徐々に精神世界から切り離して考えていけばいいと思います。
考え方としては、人間の精神性の向上など悪い考え方ではないと思います。ですが少し理想論すぎるところも気になっています。そのせいで、自己肯定感の低い方は自分はダメだとさらに思いがちでまたそこにつけいるスキができる気がします。
そういう考えもある。だからと言ってそれが全てではないので、自分はダメだと思わず一個一個考えていけばいいと思います。自分を大切に、無理せず、だからと言ってスピリチュアルはすべて悪とも思わず、そういう考え方もありいい部分は参考にしようぐらいでいいと思います。
最後に
スピリチュアルや宗教は概念と人間の尊厳などが関わり、難しい部分だと思います。信心の心は人を救うのもまた事実です。スピリチュアル全体を批判しているわけではありません。
傾倒しすぎず、バランスをうまく取りながら自分で舵を取るのがベストだと私は思います。皆様の心が少しでも軽くなりますように。
最後までお読み下さりありがとうございました。
睦月